自分軸をみつけて自由に生きるヒント

生きることは苦しみだ〜仏教は心の科学より

生老病死とは

日常生活を何事もなく過ごしていると忘れてしまいがちになるけれど、自分や身近な人が病気になったり、亡くなると、急に思い出すかのように目の前に突きつけられるのは、生きることは何なのかという究極の命題ではないでしょうか。

人は亡くなる瞬間は、ほとんど苦しまないそうですが、死に至る過程で苦しまない人はいるでしょうか。

老衰で朝起きたら亡くなっていた、というような場合を除き、ほとんどの人が痛みに恐怖を感じ、体が衰えていくのが、死に近づくということでしょう。

生老病死は避けられない苦しみだと言われていますが、死に向かう「生」自体も苦しみを内包しています。

それは、何も願望が満たされないことの苦しみだけではなく、何をしてもしなくてもそれは苦しみの元になると仏教で説かれています。

たとえば、何もしないでぐうたらしていることも苦であり、苦を避けて何かを選んでもすべからく苦になり得ることだと。

そして、幸福とは意志であるとも述べられています。

今すぐに幸福を選ぶと幸福になる、つまり全てに幸福を見るようにすればいいのです。

おぎゃあと生まれるのは、この世に生まれる恐怖で泣いているのだ、と言った人がいましたが、人生の本質は、阿鼻叫喚の連続であるのかもしれません。

それを避けるために、生活の中で喜びを見出す努力をして、日々をなんとか乗り越えていくものが生きる基本なのだとしたら、それはそれで、とても納得がいくものです。

逆に、人生は手放しで素晴らしいのなら、なぜあの人は苦しみながら死んだのか、なぜあの人は苦しんでいるのか、なぜわたしは苦しいのかと、悩みに苛まれるしかないからです。

逆説的に、謙虚に人生を楽しむ方法が、書かれているのが仏教の教えなのだなと理解しました。スリランカの僧侶が書かれた本で、

「仏教は心の科学」

アルボムッレ・スマナサーラ著

自分のモヤモヤを易しい言葉にされることにより、心が収まります。

身近な人が病気だったり、亡くなった方に、とくにオススメします。

因果は続いていくのか

因果応報という言葉があり、善行も悪行もいずれはその報いを受けるということだと理解していますが、

善行や悪行とは、どのようなものなのでしょうか?

自分が良かれと思って行ったことも、結果として悪くなることもあります。

それは悪行なのでしょうか?

たとえば、あの通りを通らなければ、その人は事故に巻き込まれなかったという場合、道を通ったということと事故は因果関係にありますが、その道を選択した人には事故の責任はないはずです。

けれど、その原因は、自分の意思ではなかったとしても、自分の取った行動と関係するのであれば、それはどこかに因果が連続して繋がっているのかもしれません。

それが変えられない宿命というものなのかもしれません。

与えられたものは、選んでいるようで選ばされていると言うけれど、事象を遠くから眺めてみると、ほぼ因果で組み上がっているのかもしれないと考えます。

なぜならば、人生は苦が本質だからです。

そして、楽を選択するのは意思であり、それは運命と呼ばれるものでしょう。

運命とはつまり自分で作りあげていくもので、どうにか自分を幸せにしていく努力のことだと思います。

結果にこだわらず、執着せず、苦を生き抜くために、やりたいことをやる、その結果は自分以外のところが与るところのことなのでしょう。

ストアカ

松原 徳代

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コメント

    • Sachi-ko
    • 2019年 7月 14日

    身近な人が亡くなると、、、『死』を見つめ続けてしまいます。でも、ある瞬間から『生』を考えていることに気づきはっとします。死=生の中にある、死は生の延長線上にあるんだった!と。

    10年経ってやっと父の死を自然界に共通する事で悲劇的な事ではなかったと思うようになりました。

    どうかご自愛くださいね。

      • apsara-mode
      • 2019年 7月 16日

      Sachi-koさん

      ありがとうございます。
      ずっと生き続けていくし、活かしていきたいと思います。

      10年かけて熟成していくことってあるのだろうな。

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